プログラム紹介(10/7(金)横浜市イギリス館コンサート)


10/7(金)イギリス館コンサート    http://animato-musicarts.net/britishhouseyokohama2016/10/07

10/7(金) 開場 開場 19:00 開演 19:30 (終演21:00予定)

10/7(金)イギリス館コンサート    http://animato-musicarts.net/britishhouseyokohama2016/10/07

10/7(金) 開場 開場 19:00 開演 19:30 (終演21:00予定)

 

会場 横浜市イギリス館 map

チケット料

 

大人チケット http://animato-ma.shop-pro.jp/?pid=106203171

子どもチケット http://animato-ma.shop-pro.jp/?pid=106203184

コンサートページ http://animato-musicarts.net/britishhouseyokohama2016/10/07

アーティストページ http://animato-musicarts.net/britishhouseyokohama-artists2016/10/07

G.F.ヘンデル(1685-1759)

ドイツ生まれでイギリスに帰化したイギリスの作曲家。バッハと同じ年に生まれている。バッハが主として教会の礼拝で用いる音楽(教会音楽)で活躍したのに対し、ヘンデルはオペラや(劇場用の)オラトリオなど、劇場用の音楽で本領を発揮した。特に、オラトリオ《メサイア(救世主)》は曲中に有名な「ハレルヤ・コーラス」を含み、今日でも非常に有名である。 また、オラトリオ《ユーダス=マカベウス(マカベウスのユダ)》中の合唱曲「見よ、勇者は帰る」は、大会の優勝者を称える曲・表彰状授与のBGM(得賞歌)として日本でも頻繁に用いられている。

 

★Ode for the Birthday of Queen Anne

最後のイングランド王国・スコットランド王国君主で、最初のグレートブリテン王国君主、及びアイルランド女王であるアン女王の誕生日を祝うために書かれた曲である。

 

★Oratorio “Samson” より Let the bright Seraphim

怪力無双のイスラエル人、サムソンは、敵方であるペリシテ人を多数殺害、彼らから恐れられていた。ある時、サムソンはデリラという女を愛した。それを聞きつけたペリシテ人の主君たちはデリラに、サムソンからその力の秘密を聞き出すよう命じる。だがサムソンもそう簡単に秘密を明かさず、デリラに三度偽りを答えた。しかしデリラから、嘘をを言う者が愛していると言うなんて、と毎日詰られ、ついにサムソンも、切ったことのない髪を剃り落とすと怪力を失う、と明かしてしまう。そして寝ている間に髪を落とされたサムソンは、ペリシテ人に捕らえられ、目をえぐられ枷に繋がれ、巨大な臼をひかされた。やがて、ダゴンの神への犠牲に捧げるため、サムソンは多数のペリシテ人の前に引き出され、嘲られる。だがサムソンの髪は既に伸び始めていた。怪力を取り戻したサムソンは、館の二本の柱を抱えてへし折り、多数のペリシテ人を道連れにして死んだ。

という内容のオラトリオである。

 

★Opera「Serse 」より アリアOmbra mai fù

詩は木陰への愛を歌ったもの。

下降および上昇旋律を組み合わせた、伸びやかな明るい旋律線を持つ。旋律素材はボノンチーニによるもので、ヘンデルの独創ではないとされる。

従来より、この曲の速度記号から『ラルゴ』とも呼ばれる。『オンブラ・マイ・フ』は歌詞の初行から。今日オペラはほとんど上演されないが、この曲は美しい小品として愛され、しばしば演奏される。元来カストラートのための曲だが、今日は主にソプラノにより歌われる。

今回はトランペットとメゾソプラノ、ピアノの編成で演奏します。

 

 

V.ベッリーニ(1801-1835)

★Opera 「I Capuleti e i Montecchi 」より アリアSe Romeo t’uccise un figlio

オペラ作曲家として有名である。名字はベルリーニベリーニとも表記する。1985年から1996年まで発行された5000イタリア・リレ(リラの複数形)紙幣に肖像が採用されていた。

ロッシーニやドニゼッティと共に19世紀前半のイタリアオペラ界を代表する天才である。中でも特にベッリーニについてはショパン、ベルリオーズ、ワーグナーらの賞賛と愛情の言葉を得ている事で知られている。父親も祖父も音楽家であり、音楽を学ぶ前から作曲を始めたという神童であった。

オペラ「カプレーティ家とモンテッキ家」はシェイクスピアのロミオとジュリエットを題材にした作品。ロメオはメゾソプラノによって演じられる。

 

G.ロッシーニ(1792-1868)

★La regata venezianaより

Anzoleta avanti la regata
Anzoleta co passa la regata
Anzoleta dopo la regata

『セビリアの理髪師』や『ウィリアム・テル』などのオペラ作曲家として最もよく知られているが、宗教曲や室内楽曲なども手がけている。彼の作品は当時の大衆やショパンなど同時代の音楽家に非常に人気があった。 悲劇を好むイタリアのオペラ作家としては喜劇やハッピーエンド作品の比率が高い点で異色の存在ではある。作風も明朗快活で、生前「ナポリのモーツァルト」の異名を取った。

美食家としても有名。若い頃から料理が(食べることも作ることも)大好きで、オペラ界からの引退を表明した後の余生はもっぱら料理の創作や高級レストランの経営に費やしていた。フランス料理によくある「○○のロッシーニ風」(ヒレステーキにフォワグラとトリュフのソテーを添えた「トゥールヌド・ロッシーニ」など)とは、彼の名前から取られた料理の名前である

歌曲「ヴェネツィアの競艇」は、ボート競技であるレガッタに出場する恋人モモロを、アンゾレータが叱咤激励するのが第1曲。第2曲はモモロを応援し、第3曲は優勝したモモロを褒め称える内容 である。

 

T.G.アルビノーニ(1671-1751)

★Trumpet Concert B-dur

生前はオペラ作曲家として著名であったが、今日はもっぱら器楽曲の作曲家として記憶され、そのうちいくつかは頻繁に録音されている。なお有名な『アルビノーニのアダージョ』(1958年に出版)は、レモ・ジャゾットによる偽作であって、アルビノーニとは直接関わりはない。

1742年にフランスで、アルビノーニのヴァイオリン・ソナタ集が「遺作」として出版されたことから、研究者から、アルビノーニはその頃には亡くなっていたと推測されてきた。しかしアルビノーニは、ヴェネツィアで人知れず生き延びていた。生地のサン・バルバラ小教区の記録によると、アルビノーニは1751年に糖尿病により、「79歳」で(おそらく書き損じ)亡くなったとある。

アルビノーニは50曲ほどのオペラを作曲し、そのうち20曲が1723年から1740年にかけて上演されたが、こんにちでは器楽曲、とりわけオーボエ協奏曲が最も有名である。

このトランペット協奏曲も、今日ではトランペットで演奏される事が多いが、オリジナルはオーボエ協奏曲だと思われる。

 

P.J.ヴェイヴァノフスキー(1633ごろ-1693)

★Sonate for Trumpet

ヴェイヴァノフスキーの作曲様式は、ウィーンやヴェネツィアの盛期バロック音楽の諸相を統合したものである。ヴェイヴァノフスキーの作品は、新鮮な旋律進行と引き締まった楽曲構成、巧みな楽器法ゆえに魅力的である。

当時の自然倍音しか奏でる事のできないナチュラルトランペットのために書かれた作品であるが、強制倍音などの奏法により、自然倍音外の音を巧みに取り入れた意欲的な作品である。

今日ではピッコロトランペットを使用して演奏される。

 

S.ラフマニノフ(1873-1943)

★Prelude Op.3-2

全部で5曲からなる《幻想的小品集》作品3の第2曲。1892年にボリショイ劇場にて作曲者自身によって初演された。この初演の後で、演奏会全体の中からこの曲のみを取り上げて、「熱狂を捲き起こした」との批評が掲載された。これ以降、作品の人気はとどまることを知らなかった。クレムリン宮殿の鐘の音にインスピレーションを受けた作品と言われており、「鐘」または「モスクワの鐘(The Bells of Moscow)」などの愛称で親しまれている。フィギュアスケートの浅田真央選手が管弦楽編曲版を使用した事でも知られている。

 

C.P.E.バッハ(1714-1788)

★12 Variationen über die Folie d’Espagne

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの第2子。生前は父のヨハン・ゼバスティアンよりも有名で、兄弟の中では誰よりも世俗的な成功を収めたが、本人は父の指導があったからこそ自分が成功することができたと訴え続けた。モーツァルトは、カール・フィリップ・エマヌエルについて「彼は父であり、われわれは子供だ」と言っている。
フォリアは15世紀末のポルトガルあるいはスペインが起源とされる3拍子の優雅で憂いを帯びた音楽。変奏曲形式で演奏することが流行し、多くの作曲家が採り上げている。

W.A.モーツァルト(1756-1791)

★12 Variationen über ein französisches Lied “Ah, vous dirai-je, maman” K.265

当時フランスで流行していた恋の歌「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」 (“Ah! vous dirai-je, maman”) による変奏曲である。この旋律は後に恋の歌ではなく童謡『きらきら星』として知られるようになったため、日本では『きらきら星変奏曲』とも呼ばれるようになった。しかし、『きらきら星』の歌詞が書かれたのはモーツァルトの死後である。
「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」フランス語原詞
Ah! Vous dirai-je, Maman,
Ce qui cause mon tourment ?
Depuis que j’ai vu Silvandre,
Me regarder d’un air tendre ;
Mon cœur dit à chaque instant :
« Peut-on vivre sans amant ? »

L’autre jour, dans un bosquet,
De fleurs il fit un bouquet ;
Il en para ma houlette
Me disant : « Belle brunette,
Flore est moins belle que toi ;
L’amour moins tendre que moi. »

Je rougis et par malheur
Un soupir trahit mon cœur.
Le cruel avec adresse,
Profita de ma faiblesse :
Hélas, Maman ! Un faux pas
Me fit tomber dans ses bras.

Je n’avais pour tout soutien
Que ma houlette et mon chien.
L’amour, voulant ma défaite,
Ecarta chien et houlette ;
Ah ! Qu’on goûte de douceur,
Quand l’amour prend soin d’un cœur !

日本語訳
ねえ!言わせてお母さん
何で私が悩んでいるのかを
優しい目をしたシルヴァンドル
そんな彼と出会ってから
私の心はいつもこう言うの
「みんな好きな人なしに生きられるのかな?」

あの日、木立の中で
彼は花束を作ってくれた
花束で私の仕事の杖を飾ってくれた
こんなこと言ったの「きれいな金髪だね
君はどんな花よりきれいだよ
僕はどんな恋人より優しいよ」

私は真っ赤になった、悔しいけど
ため息ひとつで私の気持ちはばれちゃった
抜け目のないつれなさが
私の弱みに付け込んだの
ああ!お母さん、私踏み外しちゃった
彼の腕に飛び込んじゃった

それまで私の支えは
仕事の杖と犬だけだったのに
恋が私をだめにしようと
犬も杖もどこかにやった
ねえ!恋が心をくすぐると
こんなに甘い気持ちがするんだね!